九州自然歩道を週末に歩き倒す

目標は九州自然歩道の総延長2932km踏破。

九州自然歩道 44日目 和水で前方後円墳の上を歩いてしまった 熊本県和水町菊水~山鹿市山鹿 2020年8月22日

 今日は熊本県和水町の菊水インターチェンジからのトレッキング再開。本当に申し訳ないが、福岡県に接した熊本県最北部のこの町、和水町の読み方が分からなかった。

 私が物を知らないということもあるが、この町は菊水町平成の大合併三加和町と合併して和水町と、2006年に一般公募でつけられた町名。三加「和」+菊「水」で和水。読み方は「なごみ」と少しキラキラ系のひねりを効かせている。人名漢字辞典で引いてみると、和水で、なごみ、かずみ、わみず、と読ませる。

 カヌーイストの野田知佑の出身地と知って、俄然親近感が湧いた。菊池川を犬のガクと一緒にカヌーに乗って下っていく情景を描いた本があった気がする。和水町の真ん中には、菊池川がゆったりと流れている。20年近く前に、アウトドアが好きな弟と、愛知の実家近くの豊川水系をファルトボートという組み立て式のカヌーで下ったことがあったが、楽しかったなー。

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菊水の道路から見える菊池川

 福岡天神バスセンターから6:00の高速バスに乗り、7:27に菊水インターチェンジに到着した。定刻どおり。すぐそばのセブンイレブンでサンドイッチとコーヒーの朝食を済ませ、上下肢の露出皮膚面と頸部に虫除けスプレーを施して7:58に行動を開始。8:08に九州自然歩道の前回の離脱地点に復帰した。

 2kmほど交通量の多い県道を進み、8:28に江田交差点に到着した。ここで九州自然歩道から少し離れ、目標とした江田穴観音古墳のある和水町中央公民館に向かう。公民館への短い坂を登ると、そこは前方後円墳だった。

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公民館の中庭が前方後円墳

 今回最初に目にした古墳は若宮古墳。なんと、中央公民館の中庭が古墳だった。え?いきなり古墳?というぐらいに唐突に古墳が目の前に現れる。しかも、もとは全長50mほどの古墳だったものが、現在は削り取られて30mぐらいになってしまって、おそらくかつては古墳だった裾の部分にはアスファルトが敷かれて公用車が停められている。まぢ?古墳にこんな雑な扱いをしたらバチが当たるゾ。しかも、この若宮古墳はガイドブックの類いには掲載なし。こんな立派な前方後円墳がだよ。

 本命はこちらではなく、彩色古墳の江田穴観音古墳だが、案内板などが見当たらない。出だしから少しいやな予感がする。公民館の裏手という情報だけを頼りに、蜘蛛の巣を払いながら裏手の草ボーボーの斜面を下りていくと、日本遺産構成文化財江田穴観音古墳の御影石の立派な表示が草の中に埋もれている。え?彩色の横穴古墳がこんな待遇?

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 周囲をグルリと回ると、コンクリートで横穴式の石室の開口部を保護してあるところが見つかった。開口部には金属格子が設置してあり、中に入ることはできない。前室は岩を削り出して作られている。観音像が設置してある。これが江田穴観音かな。狭い入口から後室に続いているようだが暗くてよく見えない。彩色されている前室の側壁は、赤っぽい模様がようやく見えるだけ。こんな雨ざらしにしておいて大丈夫かなと心配になる。今日はこんな古墳がいくつも見られる予定なので、早々に切り上げて先に進む。

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江田穴観音古墳の開口部

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古墳内部

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さらに奥まで続く

 九州自然歩道に一端復帰し、今度は南に1kmほどコースを逸脱して江田船山古墳公園に向かう。ここは5世紀後半の国内最古の文字資料となる雄略天皇の名が刻まれた75文字の銘文銀象嵌銘大刀が出土したことでも有名。歴史の教科書には必ず登場するとのことであるが、私は高校の時に日本史を選択していないので習っていないはず。記憶にございません。

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この丘全体が江田船山古墳公園

 江田船山古墳は全長62m、後円直径41mのりっぱな前方後円墳。築造は5世紀後半と推定されている。埋葬施設は後円部分の中央部分に石棺が残されており、羨道(えんどう)という玄室(げんしつ、死者を埋葬する墓室)と外部とをつなぐ部分まで入ることができる。江田船山古墳の出土品92点は国宝に指定され、東京国立博物館に展示保管されている。すぐ隣には京塚古墳という円墳が控えている。このあと、公園内の肥後民族村でいくつかの古民家見学もしたが、今回は古墳のインパクトが強すぎるので省略。

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江田船山古墳 前方部から

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江田船山古墳 後円部から

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江田船山古墳 埋葬施設開口部

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内部に入ることができる

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隣の京塚古墳

 次に訪れたのが虚空蔵塚(こくんぞうづか)古墳。江田船山古墳から100mほどしか離れていない。墳長52mの前方後円墳。6世紀前半の築造と見られており、内部は未調査。

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虚空蔵塚古墳

 その次はさらに150mほど進んだ先にある塚坊主古墳。墳長43m、後円直径30mの前方後円墳。内部の発掘調査が進んでおり、毎年3月と10月頃に一般公開している。

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塚坊主古墳

 公園の入口には石人像が立っているが、ここもコロナ対策支援中。いい人そうな顔をしている。これで江田船山古墳公園はだいたい見学終了。2時間ぐらいかけてじっくりと見学した。見どころ満載だった。もっと予習してから来たらよかったかな。

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江田船山古墳公園のシンボルの石人

 ここからは県道をまたいで隣の集落の中の小高い丘を登り、トンカラリンに向かう。トンカラリンとは、一見すると水路のようにも見える全長464mのトンネル型の遺構。著書の古代史擬で邪馬台国九州説を唱えた松本清張が、トンカラリンを卑弥呼の祭祀のためのものと示唆したこともあり、謎の遺構とされている。実際に上から下まで歩いてみたが、最上部には菅原神社があり、中間地点には集落の湧水場所、下方部分には横穴式古墳がいくつか。トンカラリンの中には実際に潜ってみることもできたようだが、熊本地震の後に安全性が確保できていないとのことで、内部に入ることはできず残念。

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トンカラリン最上部近くにある菅原神社

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地下空洞

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まだまだ続く地下通路

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この辺が中間地点

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集落に利用された湧水地点

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石組みの通路が続き

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座席のような構造も

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終点近くには横穴式の墳墓

 昼食は江田船山古墳公園内のキャンプ場管理施設のカフェで石窯で焼いたピザ。もちもちのクラストが美味しかった。公園の北には道の駅菊水ロマン館があるのだが、よく見てみるとこれも前方後円墳の形態。この地区は古墳一色だった。てか、古墳だらけで、それぞれの古墳に対する扱いが雑すぎ。それぞれの古墳、文化遺産級だろ?古墳削って駐車場にしたり、畑になってるところもあるんだから、まぢビックリ。

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石窯で焼いたピザ おすすめ

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カヌー乗り場もある

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前方後円墳型の道の駅菊水ロマン館

 ランチを済ませて12:27から行動再開。ここからは菊水と山鹿をつなぐ舗装路を15kmほど進むだけ。稲穂をつけ始めた水田の横の舗装路を進む。午前中は直射日光が頭頂部をジリジリと焦がしていたが、だんだん雲が多くなってきた。前方に積乱雲が発生し、雷鳴が聞こえてきた。少しぐらい雨が降った方が気温が下がって歩きやすいかもしれない、と思う間もなく大粒の雨が雷鳴とともに降ってきた。少し濡れながら歩き、集落に入ったところで神社が見えたので、お参りついでに雨宿りをさせてもらった。

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田園風景の中を山鹿に向かう

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だんだん日照が弱くなり

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積乱雲が発生し雷鳴が聞こえる

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大粒の雨が落下し始める

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神社で雨宿り

 30分ほどで小降りになったため14:30から行動再開。ここから先は県道16号玉名山鹿線で、交通量が多く、うるさく、危険。ときおり自動車から水しぶきをかけられる。

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 15:15に山鹿の市街地についた。最初に山鹿バスセンターで今日の帰りのバス便があることを確認。バスセンター自体、隈研吾の設計かと思わせる木製の情緒のある建物だった。

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山鹿大堰橋を渡ると市街地に入る

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木造のバスセンターのセンスが良い

 ここから市街地を通って、本日の最終目標地として定めた銭湯のさくら湯に向かったのだが、今回もまたもや謝らなければならない、ごめん山鹿。お盆に提灯を頭に乗せて踊るところだろ?ぐらいの意識しかなかった山鹿だが、ここって日本遺産に指定してもよくね?ってぐらい立派な建造物が残された町だった。

 最初に立ち寄ったのが金剛乗寺。825年に空海によって開かれた寺院で、かつては西の高野山と称されたとか。門前には石門も遺されている。

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金剛乗寺

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金剛乗寺石門

 次が旧安田銀行山鹿支店。現在は山鹿灯籠民芸館として使われている。竣工は1925年で設計者は不明。

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安田銀行山鹿支店

 そして八千代座。なんでこんなところに歌舞伎座が?と思うような絢爛豪華でクラッシックな木造建築。ここは1910年に山鹿の旦那衆が出資して建てた劇場。1973年に経営不振で閉鎖されていたが、1990年に坂東玉三郎が舞台公演をし、その後平成の大修理を行い再興している。いまなお現役の芝居小屋で、9月には海老蔵さんが来演予定。

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八千代座

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内部の造りも豪華

 そこから小路を出ると目の前にあるのがさくら湯。え?これが銭湯?1640年に建造された肥後の細川の殿様の宿泊施設であるお茶屋を起源とし、明治期には道後温泉の棟梁による改修を得て、1973年まで市民のための元湯として使われていたが惜しまれつつ取り壊された。しばらくは、さくら湯はビル内で営業を続けていたが、2012年に江戸期の建築様式を再現した木造の温泉として再開。今回は山鹿の旦那衆が出資したかどうかは分からないが、やるぜ、山鹿。感動してしまった。さくら湯は、死ぬまでに入るべき温泉に登録させてもらった。本日の汗はここですっかり落としてから、バスに乗って福岡への帰途に着いた。

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さくら湯

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2020年8月22日 九州自然歩道 44日目 熊本県和水町菊水~山鹿市山鹿温泉 晴れのち雨 気温33/26 距離24.4km 行動時間9:47 平均速度4.7km/h 40024歩

往路交通:

西新5:36福岡市営地下鉄-天神5:44/天神バスセンター6:00西鉄高速バスひのくに号-菊水IC7:27

復路交通:

山鹿バスセンター18:20九州産交バス-玉名19:21/20:03JR鹿児島本線-大牟田20:22/20:53西鉄大牟田線-薬院21:53/22:04福岡市営地下鉄-別府22:10