今朝はキャンプ場のテントの中で、雨の音で目が覚めた。幸い屋根があるので直接雨がテントに降り注ぐわけではないが、土砂降りといってよいほどの雨が降っている。やっぱりここに泊まってよかった。こんなに降りしきっていたら、地面の上に張ったテントの中まで浸水していたに違いない。
5:30に寝袋を抜け出して、お湯を沸かした。コーヒーを淹れると、テントの中に芳醇な香りが拡がる。身体を温めてから撤収作業を開始した。荷物を片付けているうちに雨が小降りになり、7:00にはほとんど雨は上がっていた。
花瀬橋を渡ってコミュニティバスのバス停に向かう。あれだけ雨が降ったのに、雄川の花瀬はやはり岩盤の川のまま。本当に不思議な光景だ。7:15発のコミュニティバスに乗り、昨日歩いた田代まではバスに揺られて行くことにした。
田代麓のバス停で下車して、7:33に行動を開始する。ここからは九州自然歩道の続きを歩く。まずは北尾神社の前で手を合わせ、県道68号線を北上する。県道68号線は佐多岬から鹿屋(かのや)まで続く幹線道路で、交通量は多い。気温は12℃で暖かい。山からは盛んにシカの鳴き声が聞こえる。
7:54に長谷(ながたん)の集落を通過した。スギの植林を抜けた先の山の麓には、工場のような建物が展開している。何の工場だろうかと思いながら歩いていたが、入口近くで分かった。鹿児島黒牛の肥育センターだった。こんな工場みたいなところで大規模に生産しているのかと、意外な感がした。
ここから先は緩い勾配を笹原峠に向かって進んでいく。雨はほぼ止んでいる。山間からは空まで続く雲が流れていく。子供の頃、空に浮かぶ雲はどこで作っているのだろうかと思っていたが、ここに生産工場の一つがあったようだ。
8:14に笹原峠を通過した。県道68号線の交通量は多く、どの自動車のスピードも速い。8:22に標高298mの最高地点を通過したところで、紺色の軽自動車が止まって助手席の窓が開いた。人の良さそうなおじさんが、乗りませんか?と声をかけてくれる。歩いているんですと答えて、先に進む。道路の脇には撤去された境界標識の支柱のみが残されていた。ここはおそらく旧大根占町と旧田代町の境界だったところ。平成の大合併で町の名はなくなり、錦江町というあまり根拠の定かでない町名になってしまっている。
8:48に半ケ石の集落に入った。神の川にかかる半ケ石橋を渡る。上流を見ると、たしかに神様が住んでいそうな山から流れてきている。集落には10軒を超える住宅が建ち並んでいるが、生活音がしない。実際に居住している家は少ないようだ。しかし、それにもかかわらず、明らかに人が住んでいない家の周囲も草取りをされている。集落全体のメインテナンスがよくできているため、荒廃した感じがしない。とくに感心したのはお墓。だれかが手入れをしているのだろう。大隅半島でとくに強く感じるのは、なんとか自分たちの町を守ろうとするひたむきさ。路肩の雑草などもきれいに刈り取ってあるところが多い。
9:09には大根占簡易水道の水源地を通過した。塩化ビニールのパイプから美味しそうな水が流れている。サーモスが空いていれば水を汲んでいきたかったが、今朝は沸騰したお湯を詰めてある。
坂を下ったところに川が見えたため、小休止しようと近づいたところで、急に大粒の雨が降り出した。200mほど先に建物があったので軒先に駆け込んだら温泉だった。残念ながら営業は午後1時から。ドアの向こうでは女性が掃除をしている。軒先にあった自販機で温かいスープを購入して、ドライフルーツと一緒に朝食とした。
10分ほど軒先でゆっくりしていたら小降りになったので、雨具をしっかり装着して再び歩き始めた。9:48に池田の集落に到着した。ここにはスーパーマーケットがあったので、パンを購入して小休止。店先のベンチに腰掛けて、パンとココアで栄養補給した。
10:03に行動を再開し、旗山神社の大楠を見物してから先に進む。坂を登った先には広い圃場が拡がっていた。ここの地名は段。段々畑が拡がるからか。正面には、次に登る予定の陣の岡と横尾岳が見える。
11:00には鹿屋市境を越えて、真戸原(まとんばる)集落に入った。ここから先は谷間の道に変わり、道路の下を流れる川は北の方向に流れるようになった。谷川の水は澄んでいる。
11:41に上苫野集落を通過し、ここからいったん県道68号線を離れて右折する。姶良(あいら)川にかかった橋を渡ったが、その下を流れる水の美しさに驚いた。写真を撮っていると、長いレンズをつけた一眼レフと三脚を持った女性二人組が正面から歩いてきた。鳥の撮影に来たという。川辺にはいろいろな鳥が飛んで来そうだった。
15分ほど歩いたところには立神公園という奇岩の祀られたスポットがあった。ここも不思議な光景。先ほどの二人組の女性から、よく知られたパワースポットだといわれたが、確かにそうかもしれない。
12:22には砂ケ野集落から左に折れる。その先の木場集落を過ぎたところで地図に従って廃道に進むが、ぬかるんだ道と倒木にやや苦戦した。30分ほどで廃道をクリアして、もとの舗装路に復帰できたが、途中で倒木にザックのレインカバーを引っかけて落としてしまい、走って取りに戻った。10分ほどロスをしたが、さいわい見つかったのでよかった。
ここから先は神野の集落の舗装路を進む。吾平山上陵(あいらさんりょう、正式にはアイラノヤマノエノミササギ)は林の向こう側にあるようだが、木々に隠れており直接は見えない。吾平山上陵は神武天皇の両親の墳墓とされており、宮内庁が管理している。
12:53に横井坂を通過するときに、吾平山上陵に続くよく整備された舗装路が見えたが、上陵は数km先にあり、しかもそのものを見ることもできないようなので、行ってみるのは諦めた。少し心残りだ。
13:26には水流(つる)から西に向かって左折し、田園の中を進む。次の目標は飴屋敷。13:49に到着した飴屋敷は、てっきり島津の時代の飴の生産現場かと思っていたら、こんな解説が書いてあった。「彦火火出見尊(ヒコホホデミノミコト)と豊玉姫(トヨタマヒメ)との間に鵜茅葺不合尊(ウガヤフキアエズノミコト、神武天皇の父)が無事お生まれになったが、父、彦火火出見尊が約束をやぶり産屋をのぞかれたことを恨み、母、豊玉姫は海の中に消えられた。あとに残された鵜茅葺不合尊を育てるため、上古あめをねり尊にさしあげた人の宅地跡であるといわれている」。日本書紀の神話の時代に出てくる飴を用意した人の家の跡だそうだ。そんなものが残っているのかと仰け反ってしまった。ここには神話がそのまま遺されている。勉強不足で恥ずかしいかぎりだが、ここ吾平(あいら)の地は、建国神話の始まりの聖地だった。
飴屋敷跡で日本書紀の時代の空気を吸い込んだ後、田園の中の畦道をしばらく歩く。14:00に軍(いくさ)神社に到着した。ここから吾平のバス停までは3km弱。ここから先に進むとバス停はなくなる。今回はここで九州自然歩道を離脱して、姶良(あいら)川に沿って鹿屋の中心地に向かう。
姶良川沿いの自転車道を下流に進むと、焼酎の醸造工場があらわれた。14:34に吾平バス停に到着して、日曜日にも15:15発の鹿屋行きのバスがあることを確認してホッとする。通りに沿って花崗岩で作られた白い灯籠のようなものが建てられている。街並みもクラシック。次回ここからトレッキングを再開する際には、もう少し神代のことを勉強してから来ようと反省した。
2021年1月24日 九州自然歩道 78日目 鹿児島県肝属郡錦江町花瀬公園キャンプ場~鹿屋市吾平 雨 気温16/7℃ 行動時間5:57 距離27.6km 43729歩
復路交通:吾平15:15-鹿屋15:45/16:00-垂水港16:45/17:10-鴨池港17:45/18:15-二中通り18:28/19:05-鹿児島中央19:15/19:51九州新幹線みずほ614号-博多21:07