今週末の九州自然歩道トレッキングは西南戦争の激戦地として知られる熊本県の田原坂から再開。
歴史には疎いため、西南戦争の原因や経過がさっぱり分からない。大政奉還や江戸城の無血開城の中心的な役割を果たしたのが西郷隆盛だったのではないだろうか?それがどうして西南戦争では反乱軍の首領として官軍と戦うことになったのか?付け焼き刃で、西郷隆盛が明治政府から下野することになった明治6年政変や、士族の反乱の引き金を引くことになった明治9年の廃刀令、西郷が鹿児島に設立した私学校に対する政府からの圧力、などの細切れの知識をおぼろげに頭に詰め込んだまま、定刻の8:13に鹿児島本線の列車は田原坂駅に到着した。
田原坂駅は山の斜面にへばりついたような形態の無人駅。1日の平均乗降客数は24人とのことで、この列車から降りたのは私一人。駅舎の中では、立派な角を持ったオスのカブトムシがあおむけになって暴れていたので、起こして記念撮影をしてあげた。
田原坂駅からは8:24に行動開始。数軒の家が並ぶ集落を線路に沿って進み、踏切まで来ると、撮り鉄と思われる方2名が機材の準備をしていた。田原坂踏切は緩いカーブが直線に変わる位置にあり、たしかにきれいに車両の撮影ができそう。ベテランの方が、後輩の指導をしているような図式。500mmの大きなレンズを使っている。撮り鉄の方たちは、撮影チャンスが一瞬しかないから、いい機材を使っている。運行再開したばかりのななつぼしの撮影かと思って尋ねると、古い415系の撮影とのこと。JR九州と常磐線で運用されている機材だが、もうすぐ廃車になる可能性もあるとのことで、せっかくなので私も通過を見届けることにした。撮影風景を撮影させてもらったが、さすがに機材準備に手慣れている。私も通過する415系を1枚撮影してみたが、なかなか難しい。
踏切を超えて国道208号線をしばらく歩き、すぐに田原坂に向かう農道に右折する。農道に沿って梨畑が並んでいる。袋掛けをした梨がいくつもぶら下がっている。
農道を1kmほど歩くと、薩摩軍の墓地に到着した。開けた丘の上に立つ墓標の周囲はきれいに手入れがなされている。手を合わせて先に進む。官軍の墓地は、九州自然歩道から1kmほど外れた位置にあるよう。迷ったが、こちらにも立ち寄ることにした。官軍の墓地は広い駐車場があり、一人一人の墓標が並んでいる。薩摩軍と官軍の扱いが随分違うなと思いながらコースに戻る。
ここから田原坂公園までは1kmほどのはず。両側にメロンのハウスや梨畑の並ぶ舗装状態の良い道を進み、10:00に田原坂資料館に到着した。資料館の前には銃痕だらけの蔵が残っており、当時の戦闘の激しさがわかる。入場料を払って資料館を一通り見学した。資料館の正面には、ミカン畑の向こうに先週登った三ノ岳が青空の中にたおやかな姿を見せていた。
田原坂公園には西南戦争での死亡者を悼んで慰霊碑が建てられていた。官軍、薩摩軍に分けて名前が記されている。今日は終戦の日だったなと思いだす。
慰霊碑の向こう側に田原坂の坂道が伸びている。ときおり車が通るだけの、ただの狭い田舎道。西南戦争の当時は、この道を通らなければ熊本城に大砲などの大型物資が運搬できない、唯一の輸送路として重要だったとのこと。今日の青空の下では、ミカン畑の中の穏やかな農道。
田原坂を下りた先は木葉の集落。官軍病院跡の石柱を立てた寺院、正念寺がある。日本赤十字社の前身となる博愛社は西南戦争の際に設立されたとのこと。木葉駅に11:30に到着し、駅の周辺の商業施設で12:20まで昼食休憩をとった。
木葉から本日宿泊予定の玉名市の市街地までは10km弱。水田が一面に広がるコースで、その向こうには新幹線の高架が見える。振り返ると二ノ岳、三ノ岳が緑の絨毯の向こうに見える。平らな道で歩きやすいが、木陰がなく、脳がとろけてしまいそうなほど暑い。気温は35℃だが、体感はそれをはるかに超える。
菊池川を超えると玉名の市街地に入る。菊池川にかかる玉名大橋が見えてきてホッとした。菊池川の向こうには、明日の目標の丸山が見える。
もうひと歩きしたところで温泉街が見えてきた。町の小路の中には古い映画の看板が掲げてある。はやくホテルにチェックインして、汗を流したい。15:00にホテルに続く最後の坂を登り始めた。
2020年8月15日 九州自然歩道 42日目 熊本県熊本市北区植木町田原坂駅~玉名市立願寺 晴れ 気温35/27℃ 距離18.0km 行動時間6:51 平均速度3.3km/h 28426歩
往路交通:別府(べふ)5:59福岡市営地下鉄七隈線-薬院6:06/6:25西鉄天神大牟田線-大牟田7:29/7:39JR鹿児島本線-田原坂8:13